唐津の鏡山の絶景
標高284mの唐津の鏡山は、花崗岩の上に玄武岩質の溶岩が堆積したメサ(卓状台地)地形の山。頂上が平らなため、どの方角から見ても台形に見えるのが特徴です。
春になると、登山道は満開の桜で一気に華やぎ、訪れる者の目を楽しませてくれます。標高こそ低いものの、山頂の展望台からの眺めは格別です。
北方には唐津湾の白い砂浜と緑深い虹の松原、そして紺碧の海が広がり、沖合に浮かぶ高島や神集島を一望できます。
鏡山と万葉ロマン
南から西にかけては、松浦川が流れる田園風景や唐津城を中心に広がる市街地。東に目を向けると、松浦潟に注ぐ神功皇后ゆかりの玉島川、福岡との県境にそびえる十坊山や浮岳が望めます。
鏡山は別名「領巾振山」と呼ばれ、『肥前風土記』や『万葉集』に登場する松浦佐用姫の悲恋物語の舞台としても有名です。
愛する人との別れを悲しむあまり、石になったという佐用姫。鏡山からの絶景は万葉ロマンの世界へと誘ってくれます。
松浦佐用姫の伝説は古くより知られたものであり、『万葉集』にも姫にちなんだ歌が山上憶良によって詠まれています。
行く船を 振り留めかね 如何ばかり 恋しかりけむ 松浦佐用姫 まつら潟 佐用姫の子が 領巾振りし 山の名のみや 聞きつつおらむ
佐用姫岩
佐用姫岩は唐津の中心街から少し東に離れた松浦川沿いにあります。佐用姫が見送っていたとされる鏡山からは直線距離にして約3km。
伝承によると、鏡山から飛ぶように駆け下りた佐用姫はこの岩に飛び降り、その時に付けられた足跡が岩の頂上にに残されているといいます。
今では水辺に浮かぶ小島のようになり、遊歩道が設置されて公園になっています。 佐用姫が恋人に鏡山から袖を振って別れをおしんだという伝説があります。
昔、新羅に出陣する大伴狭手彦を、松浦佐用姫はこの山から領布を振って見送ったといい「領布振山」とも呼ばれています。
伊能忠敬の『測量日記』にこのことが次のように記されています。 「神功皇后、此山に御登り鏡を以って御姿を見給う。旅の労の影恥ずかしと鏡を捨て給いしより鏡村鏡山という。
大伴狭手彦、三韓征伐のとき風雨にて船を松浦に寄せ日数を送るとき松浦県の王、慰めに佐用姫を出しけるに、容色諸人に勝れたるにより、狹手彦大いに愛し、姫も又深く恋慕しける。狭手彦発船に及んで、姫離別を愁傷して鏡山の頂に登り上衣をぬぎ狭手彦の乗船を招き悲哀す。
此より鏡山を領布振山と号す。姫わかれにたえず遂に鏡山の麓に死す。化して石となる」 山上憶良の歌は「遠つ人松浦佐用姫夫恋に領布振りしより負える山の名」とあります。